明けましておめでとうございます。
古来に中国から伝承された暦の太陽多陰暦では、1月22日の新月が明治維新前の日本の本来の「正月」です。

この画像は、グレゴリオ暦の1月1日に登った浅間山です。
明けましておめでとうございます。
古来に中国から伝承された暦の太陽多陰暦では、1月22日の新月が明治維新前の日本の本来の「正月」です。
この画像は、グレゴリオ暦の1月1日に登った浅間山です。
令和2年の春分は3月20日、それより、地球は太陽の周りを45度、公転を進め、そして立夏
春も始まったばかりの高原の街は、開花の目白押し。
高原の街は、舞台の幕を切ったかの様に、目まぐるしく開花が続く。
日本桜草は、この辺りでは普通にある野草、しかし、全国的に見れば希少種、絶滅が危惧されている。
草の個体には、絶滅は関係なく、この始まった夏の日差しで、精いっぱい咲いて。
朝陽を受けるあけびの花。
決して、目立つ花ではないけれど。
レンズを持って寄り添えば、小作りな可憐な佇まい。
すべてが、生命力に輝いて。
瑞々しく、勢いのある瞬間。
とても、良い、季節。
昨朝に掛けて雪が降り、目の前にある、圧巻の白い世界に突き付けられるメッセージに、驚愕しておりましたが、それは、日が高くなるに連れ、音を立てる勢いで消える雪の様に、いや不安はその雪より輪を掛けて早く消えて行きました。
冒頭の画像は、万平ホテル近く、知人が所有する、70年もそのままにしてあった別荘地の木を、昨年に間伐した所に、今春に出たアズマイチゲ。
長い間、待っていたんだね。
林床に光が入ることを。
下の画像、咲き誇る八重の水仙、これは軽井沢町追分付近で、道路脇に植えられたもの。
重い雪に潰され、一時は大変な事でしたが、今は力強く立ち上がって来ております。
70年近く、日の光を浴びられなかったアズマイチゲ、林床に届いた光に、肩を寄せ合って喜んでいるかの様です。
高原の街にも、梅の花が咲きました。
梅が自生できない高地、それでも、花は咲いております。
春の来ない冬はない
上がらない雨は、降ったことがない
なに、もう少しさ。
この素敵な出会いは、一本の電話から始まりました。
先月に、遠野未来さんから連絡があり、小坂商会とコンタクトを取りたいので、ご協力して欲しいとの事。
小坂商会さんとは、長野市で壁土を練っている所で、私もたまに取引があるので、お安い御用でした。
以前に、 小坂商会のお母さんと、テレビ東京の「和風総本家」のという番組 の「女職人」という様な 切り口で、 ご一緒に出演させていただいたことがありました。
遠野未来さんは、私のご近所、軽井沢町追分在住、世界的に活躍されている建築家で、昨年はThe A+Awardsから賞を頂いております。
遠野未来さんの受賞作品 Shell House/もりのことば
今回、来日された皆様は、イタリア・ベルギーからの建築家及び建築関係の14名+通訳2名という大所帯でした。
そして、今回のツアーの企画は Genuine Education Network S.r.l のCEO、斉藤由佳子さん。
今回のツアーのタイトル「sozai」。
ヨーロッパの建築家・建築関係のお仕事の方は、なにを求めて日本に来ているのでしょう?
日本では一般的に「古くさ!」といわれる土壁ですが、イタリア・ベルギーの建築関係の方々は、ツアーを組んで日本まで見学に来ている事が、今の先端の世界基準です。
練り終わって寝かせてある壁土。
イタリア・ベルギーからの皆さんが、手に取ったり匂いを嗅いだり。
「Fermentazione!」
発酵臭ですね。
日本では「左官」職人の若い年齢層は激減です。
サスティナブルな建築を可能にする土、そして日本の「左官」。
世界の先端での「左官」と、日本で激減している「左官」非対称な面、面白いですね。
小坂さんの所の機械は50年生以上、「日本の古い機械は強いのよ!」とお母さんは張り切っていますが、かなりガタが来ている光景。ヨーロッパからの皆様は、そこで生産されるものに、持続可能な未来を重ね合わせて見ている。
夏の軽井沢は、とても込み合います。
日頃、軽井沢でのんびりしている身には、混雑した軽井沢は、とても、堪えます。
道路もスーパーマーケットも込み合って、殺気立って居るのです。
これ、本来の軽井沢ではないのです。
日常からの軽井沢住みには、この慌しい軽井沢は、耐え難い状況です。
そんな訳で、盛夏の今日は、避暑地・軽井沢を脱出して、更なる避暑に行って来ました。
就職先から帰省している長男と、向かった先は野尻湖です。
ここも、軽井沢と同じく、暑くないのです。同じ方面でも新潟の海は、フェーン現象を受けると、かなり暑いのですが、ここなら、木陰で汗をかく事もありません。
ヨットを借りて。
湖面を、白波を立ててブローが渡ってくる。
まともに喰らうと、簡単に沈。
5人乗っても帆走する船を起こす事はとても大変。
台風の余波を受けていて、ヨットはしぶきを上げて激走です。
風が細かく巻くので、スキッパーはとても大変。
波をしこたま喰らって、風は激しく細かく回り、それでも激走しておりましたが、何かが変。
セルフ・ベーラーから水が抜けない。
段々と、船の足が遅くなり、沈の仕方もとても胡乱。
こりゃ!ダメ!
浜にレスキューを求め、来た船に近くの岸まで曳航され、陸に上がり気室から水を抜き、再び曳航。
曳航されて感じた事は、確かに、内燃機関の出力は強いのだけれど、風だけでこの船体をこれ以上のスピードに出来る帆船の技術、再確認です。
気を取り直し、今度はサップ。
やっぱり、散歩している様な、静かな感じ。
風を受けて進むヨットからサップ、やはり退屈。
この次は、ウインドーサーフィン。
さすがに、防水処置した携帯電話も陸に置きました。
多分、空気の中より、水の中が大半。
そんな訳で、画像はなし。
こんな夏のひと時。
梅雨が明け、太陽が照る日が続くと、畑は俄然、良くなる。
お天道様とは、とても有難いもの。
梅雨で腐れ掛かっていた野菜も、見違える様に元気になる。
太陽の恩恵に与ったネバネバ野菜の、モロヘイヤとつるむらさき。
強い日射で育つ野菜、これを食べれば、己の身体も太陽に強くなる筈。
ズッキーニは3cm位の厚切りにし、良質なオリーブオイルで、鷹の爪とにんにくをあおったところで、丁寧にローストする。
口に入れた瞬間、粘膜が喜ぶ美味さ。
甘味だけではなく、複雑な味の乗ったトマト、酒のつまみになる。
身体の満足度が違う。
今年の天候は、照り付けたかと思うと、午後には夕立。
本当に有難い。
標高970mの畑。
それは、筑波山や高尾山、そして、六甲山より高い所にある畑。
そんな所の畑でも、毎日、収穫がある。
自然農をやっているとよく言われる、「農薬を使わなければ、虫だらけでしょう?」
答えは、この画像。
大事な事は、人間が介入して、畑の自然のバランスを崩さない事。
多少の虫食いはあるものの、大勢には何にも問題はない。
今日も現場で打合せに立ち会えば、照り付ける太陽、身体は悲鳴を上げるものの、しかし、畑の事を思えば、表情が緩む。
これが、最大の熱中症対策の様だ。
浅間山が、噴火した。
実は、我が家は浅間山の火口から、居住している地域としては、最も火口に近い地域だ。
子供達の通った小学校は、浅間山の火口に最も近い学校で、火口から8km。
しかし、今回の噴火は、空振を伴わず音がなかった。
また、噴火は夜間で見通しも効かない。
だから、噴煙を上げている浅間山の様子も見えない。
つまり、最も火口近くに住んでいる住民が、浅間山が噴火した事を知らない。
のんきなものだ。
そんな中、テレビでは火映現象映し、噴火をニュース速報で流す。
それでも、火口から最も近い住民は知らない。
そこへ、遠方の知人から連絡が入る。
「大丈夫か?」
そんな事で、浅間山の噴火を知る。
自然災害に対して楽観視は禁物だが、浅間山の噴火に伴う過去の事例では、噴火による本格的な被害がでるまでは時間に猶予がある。
火口近くまで登っている登山者は別だが、住んでいる地域は、現状の火口よりそれなりの距離がある。
8kmとなれば、火山弾が飛んでくる距離ではない。
つまり、空振で建具が飛ばされる位が、この辺りの即効性の被害だ。
所詮、その程度。
それでも、火砕流が発生すれば、我が家も駄目かも知れない。
ただ、火砕流が発生するまでには、膨大な噴火量、堆積物が必要。
そんな訳で、火砕流が発生するまでには時間が掛かる。
つまり、その内に、逃げればいい。
大気圏に多量の噴出物を到達させられる噴火は別だが、火山被害は極所。
簡単な話し、大規模噴火でも、ここから僅か数キロ程、逃げればいい。
それも、猶予の時間は、程々にある。
TVやネットでは、浅間山の噴火で大騒ぎだったが、火口に近い地元は、いつもと変わらぬ朝。
蓼科の改築現場に、建具が入って来た。
国産杉の持つ、素直で優しい表情。
この建具のガラスは、木の葉と梨地の切り替え。
この山荘を建具屋さんは、新築と勘違いしている。
現場にやって来るタイル屋さんも、左官屋さんも。
この、「木の葉」のガラスは、以前の山荘に使われていたもの。
この、小さなガラスは、長い時間に埋もれていた記憶を呼び起こす仕掛け。
面白い事に人間の記憶は一瞬で、時空を飛ぶ。
臭覚と記憶は直結している事が簡単に解るけれど、視覚も断片的に直結したものを感じる。
日付まで遡れないけれど、
あの頃の、若き父と母。
そして自分達。
そして、記憶を巡る、その当時の何気ない日常。
何気ない過去の日常、人間の記憶には、何故、その様なものが大切にしまわれているのだろうか。
過去との会話を終えて、そして、施主さんの一言、
「この空間を、私は、記憶している。」
毎日、あちこちの現場を渡っている各職人さん達が、新築と見間違う程に変わったこの山荘は、新たな息吹を与えられ、これからも施主さんと時代を重ね、記憶を蓄積しようとしている。
この度、刈払い機を追加した。
上の画像の右側が、今回、購入した新しいもの。
左は前から持っているもの。
新しいものが33cc、古いものが25cc。
供給元は、この前まではフジロビンで、昨年からかマキタラビット。
どちらもスバル系の小型エンジン。
新旧2台、4サイクルエンジンで、一寸、マニアックなマシーン。
ばらして見た事はないが、25ccのエンジンは、ペットボトルの蓋位のピストンに、小指の頭位のバルブが忙しそうに動いている筈。
模型の様なスケールで、それでいてれっきとした実用品。
現代版田舎暮らしは、この様な小さな原動機に助けられ成り立っている。
チェンソー・投雪機・薪割り機、そして、この刈払い機。
全てを手作業でとなると、田舎暮らしも大変だが、現代版田舎暮らしは、模型をいじっている様な、マシーンの調子をいつも良い状態に保ち、半分以上、趣味の世界。
古い刈払い機は20年選手、エアクリーナーを替えたり、ストレーナーを替えたが調子がいまいちで、この度、キャブレターを交換した。
不調だったエンジンが、全回転域にトルクが戻った。
古い相棒が、調子が良くなる事は、とてもうれしい。
昨今は電動工具も増えているが、メカニカルな中に感じられる、給気音と排気音が持っている生物的なふるまい、内燃機関はなんともいえない存在。
刈払い機の新しいものは、手を離すとアクセルが戻る様になっていた。
20年前のものは、固定のアクセル。
刈払い機も安全面で進化している。
しかし、トルクで刈る感覚の4サイクルの刈払い機は、中間領域の回転数を多用する事があり、固定アクセルの方が使いよい。
それでも安全優先、機械にはその内、身体が慣れて来る筈。
古い小型のものにチップソーを装着。
新しい33ccに、ナイロンコード。
25ccのチップソーでは、回転数を上げずに草刈ができ、藪を払うのでも生木なら5cm位のものは一刀で切れる。
実は刈払い機は、チップソーで藪を払うより、ナイロンコードで細くて密な草を刈る事が大仕事。
藪払いは転がした木を片付ける事が大変だが、ナイロンコードで回しっぱなしのオーバーヒートが怖い。
人間が自然を相手にすると、草だけでも思う通りにはならない。
それでも、ナイロンコードで大型エンジンで刈れば画像の様に美しい。
これから梅雨が明け、盛夏を迎え様という軽井沢、もう少し、超小型モータースポーツの楽しみは続きそうだ。
我が家のんびりな菜園からも、収穫が出来るものがちらほらと。
我が家のオーガニック菜園は、自然農だから、その他の草を排除しない。
当然、農薬は撒かない。
化学肥料もやらない。
痩せこけの玉ねぎ。
サニーレタスも自然農とは相性がいい。
農薬を撒かなくても、
葉は虫に荒らされない。
痩せこけの玉ねぎ、見掛けは悪いが、味は非常に濃い。
目では確認できないけれど、極微量栄養素は濃いみたい。
そんな味を、口の中の粘膜が感じる。
スーパーから、旬のムール貝を買い込んで。
擂り下ろした玉ねぎと黒酢、個人輸入で買ってみた南イタリアのエキストラバージンのオリーブオイルを混ぜてドレッシング。
犬にも出来合い食材では可哀相なので、オーガニック野菜の屑で御飯。
軽井沢にも、良い季節が訪れた。