自己懐疑的:思考

先日、設計士事務所の登録更新を行った。
独立して一人で遣り繰りして、25年が経つ。
気が付けば、あっという間だった。

いまだに引き渡した建物に人が住む事に、恐怖心を感じたりする。
本当にこれが正解だったか、疑心暗鬼になる。
酒の席で建築士仲間に言うと「これまでたくさん建ててきて、いまさら何を言ってるんだ。」と笑われる。

仕方ない、思考の中では、これが最善だったか?自己懐疑的に振り返る。

25年も続けていると平坦なわけではなく色々な事があり、この頃は過去に建てた建物の転売が見られ始めた。
直近では2棟の転売があり、17年前に建てたものは当時の施主さんが高齢となり、また、10年前に建てた建物は施主さんが軽井沢より静かな場所を求めて移住し、他者に建物が渡った。

伝統在来構法・渡りあごの仕口:小端が立って美しい



並んでいる画像は、17年前の建物が新たな施主さんに渡り、ご要望で増築の作業を進めている。

25年前から、国産材を使い、大工の手刻みにこだわってやってきた。
当然、プレカットや輸入材を使えば新築時のコストは圧縮できる。
施主さんに、余計な負担を架しているのではないかと懐疑的になる。

近隣の山にお金を回し、健全な状態が維持されればよいと思う。
また、世界から見ても高次元な木組みの技術を未来に残したい。

しかし、コストを圧縮した方が、施主さんの為ではないか。
また、その費用を施主さんにすべて負担してもらうのか?
自己懐疑的に陥る。

1月の新月伐採の赤松の丸太

今回、転売された2棟を、客観的に眺めた。
2棟の現状の販売成立価格を天秤に掛けて、粗いのだが土地は当時の2倍で算出し計算すると、どちらも建物の価値が建築当初の金額より上がっている。
簡単な例えであるが当時の土地が2,500万円で、それを2倍して現在の土地価格5,000万円に置き換えて、建物の新築時の価格が3,000万で、合計8,000万円としても、実際の取引価格がそれを上回る。
つまり、新築時より建物は高く評価された状態で売買されている。

私の勝手な設計思想で、施主さんに負担を強いていたのではないかと自己懐疑的だったが、市場相場がその答えをくれた。

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